【プロフィール】ゆかの人生百景。平凡OLがブラック企業から脱獄して自由になった話

ストーリー

【ゆかの人生略歴】

ゼロ:父の入院、真っ白な病院のベッド

 

「お父さんにね、腫瘍が見つかったの」

 

「えっ・・・」

母からの電話で、頭の中が真っ白になりました。

 

2019年の春。

 

父の内臓に腫瘍が見つかり、
「このまま放っておくと癌になる」
と診断を受け、手術することになりました。

 

手術当日。

病院の真っ白なベッドに横たわり
緊張している父の姿を見ていたら、

 

「私はこの27年間で、
いったい父に何をしてあげられたんだろう?」

という想いと、そして涙が溢れてきました。

 

病院の待合室で
手術が終わるのを待っている間、
今までの27年間を思い返していました。

 

父と母から与えてもらったものは
多すぎるくらいなのに、
何一つ恩返しできてないじゃん…

 

ずっと前から
「いつかはちゃんと親孝行したい」
と思い続けてきたのに、
私は何もできてないじゃん…

 

現に、父が苦しんでいる今この瞬間も
入院代や手術代の一部さえ
出してあげることもできない。

 

私って無力だなあ、、、

 

「とにかく手術がうまくいきますように」
「生きていてほしい」

と願うことしかできませんでした。

 

守りたい、助けたい、幸せにしたい…
と思っていても、
自分にその力がなければ
ただそばにいることしかできない。

 

そんな無力な自分を変えたい。

ちゃんと、せめて自分の大切な人くらいは
自分で守れるだけの力が欲しい。

 

これが、私がビジネスを始めた一番の理由です。

 

人生、お金が全てではない。
でも、お金があれば叶えられることは多い。

 

大切な人が困った時に
助けてあげることも、
喜ばせることも、守ることもできる。

 

でも、会社員として
稼げるお金には限界があるし
当時の手取りは17万。

そもそも会社のお給料に
依存することにもリスクを感じる。
(この話はまた後ほどしますね)

 

だから、
ネットを使って自分でビジネスをする
という答えに辿り着きました。

 

あれから1年半が経ちました。

 

私は勤めていた会社を辞めて、
好きなことや好きな人のために
時間やお金を使える毎日を送っています。

 

それにもかかわらず、
会社員時代の収入の3倍以上の金額が
ネットから入ってくることに
自分でもたまに驚きます。

 

両親を連れて旅行に行ったり、
母が欲しがっていた
SK-2の化粧水をプレゼントしたり(笑)
少しずつですが親孝行もできるようになりました。

 

自分の生活もかなり変わりました。

 

最近はガッツリと二度寝しつつ(笑)
好きな時間に起き、
家やカフェで仕事して
好きな人とだけ仕事をするスタイルになりました。

 

家とコンビニの往復だけの日もあって、
たまに近所のネコに話しかけては
めんどくさそうな顔で
「にゃ〜〜」と返事をもらってます。

 

年間3億をたった一人で稼ぐ起業家さん
月収1000万を7ヶ月で達成した起業家さん
10ヶ月で2500万を売り上げたセールスのプロ

などなど、
いろんな方に会わせていただき
その度に新たな学びや発見があって

 

「この世界ってほんと面白い…!」
「もっと学びたい!!」

と欲が出てきます。

 

今ではこんな風に
ビジネスの知識もつき
パソコン1つで稼ぐこともできますが、

 

もとはといえば
外見にも学歴にもコンプレックスがあって
自信がなくて人を羨んでいるような人間でした。

 

1:おばあちゃんちの押しいれ

 

富士山の麓の
田んぼに囲まれた田舎の一軒家。

それが私のおばあちゃんちです。

 

2週間に一度はおばあちゃんちへ行き
いとことよく遊びました。

 

1つ下のいとこ(男の子)と一緒に
夏は田んぼの周りを走り回り
冬は雪でスケートごっこをしました。

 

おてんば、というのか
ボーイッシュ、というのか。

とにかくそんな言葉が当てはまる女の子でした。

 

いつも通りおばあちゃんちで遊んでいたある日。

家の中でかくれんぼをして遊んでいた時
私が押し入れの中に隠れようとすると
5つ上のいとこ(女の子)の、

「ゆかちゃん太ってるからなあ(入れるかなあ)」

という何気ない一言に本気で傷つきました。

 

人生で初めて
「あ、私って太ってるんだ」と気づきました。

 

そこから、
小学校でも中学校でも高校でも
「〜ちゃんは可愛くていいなあ…」と
人と自分を比べて落ち込む、
コンプレックス人間ができあがりました。

 

2:母の車の中で聞く「硝子の少年」

 

私は働いてる母を誇りに思っていました。

 

母は私が1歳の時に会社に復帰し、
以来ずっと正社員として働いていました。

 

私はというと保育園に預けられて
毎朝お母さんと離れるたびに
ギャンギャン泣いていましたが、

 

それでも働く母はかっこいいと思っていたし
私も将来はお母さんみたいに
「働くお母さん」
になるのだと思っていました。

 

私の「会社員信仰」のルーツはここかもしれません。

 

母が保育園に迎えに来てくれた車の中では
常にKinKi Kidsの曲が流れていました。
「硝子の少年」は車の中で
何度も何度も聞いたので今でも歌えるぐらいです。

 

母は仕事帰りの
ジャケットにシャツに膝丈のスカート姿で
硝子の少年をよく口ずさんでいました。

 

忙しいながらも
家事と育児と仕事を両立していた母を
今でもものすごく尊敬しているし感謝しています。

 

私も
良い高校に入って
良い大学に入って
良い会社に入れば
幸せになれる。

かっこいいお母さんになれる。

 

そう信じて、小6の頃には
地元で一番優秀な高校を
目指すようになっていました。

 

3:彼氏にフラれ、号泣しながら問題集を解く

 

中学時代。

 

外見にコンプレックスを持っていた私は
他のところに価値を見出そうと
部活と勉強に打ち込みました。

 

ですがそんな私にも、中3の春
人生で初めての彼氏ができました。

 

ダメもとで告白したのですが
意外にも付き合うことに。

 

こんな私にも
価値を感じてくれる人はいるんだ…!
と気づいた瞬間でした。

 

これはビジネスでも言えることですが、
「自分に提供できる価値なんてない」
と行動できずにいる人は多いです。

 

でも、自分に価値を感じてくれる人は
どこかに必ずいるし

行動(告白)しなければ
いつまで経っても何も起こらないんですよね。

 

話は戻りますが、

そんなこんなで無事に
人生初の彼氏ができたのですが、

 

そのまま受験期に突入し、
彼氏そっちのけで勉強に打ち込んで
唯一の連絡手段だったガラケーも
電源を切って母親に預けていた結果。。。

 

「別れよ…」
と別れを告げられてしまいました。

 

普通ならここで
「彼氏にフラれた…もう勉強どころじゃない…涙」
となるのでしょうが、

 

当時の私は
「フラれた…私にはもう勉強しかない…!!」
とますます勉強を頑張れたのです。

 

号泣しながら
数学の問題集を解いていたので
母も呆然としてました。

 

彼氏が振ってくれたおかげ(?)で
私はずっと憧れていた高校に
合格することができました。

 

4:山、山、山。大自然に囲まれた高校で底辺を味わう

 

どこを見ても、山、山、山。
そんな田舎の高校に進学しました。

 

めちゃめちゃ努力して
志望の高校に入った私ですが、
入学早々グレます。笑

 

それまではただただ
勉強時間が長かったのと気合で
(彼氏にフラれた勢いもあり)
成績を維持していたけれど、

 

地頭が良いわけではなかったので
高校に入って一気に
勉強についていけなくなりました。

 

記憶力が壊滅的だった私は
特に日本史が大の苦手で、

赤点をとって帰った日の母の鬼の形相は
今でもハッキリと思い出せます。

 

ビジネスとか起業って
「頭がいい人しか成功できない」とか
「才能とかセンスがある人だけができる」とか
そういうイメージがありましたが、

 

昔の私から考えてみても、
ビジネスに頭の良さとか才能とか
全く必要ないですね。笑

 

本当にポンコツ人間でした。

 

そんな調子だったので、
受験期こそ「気合いだ!」と頑張りましたが、

見事に行きたかった大学は全部、
本当に全部、落ちてしまいました。

 

応援してくれていた両親には
本当に申し訳なくて泣きじゃくりました。

 

5:プリズンブレイクを観て時間を潰した視聴覚室

 

ギリギリで受かった
地元の大学に進学しましたが
私には友達が全くできませんでした。

 

受験で失敗した後悔と、
受験料を親に出してもらったのに
ムダにしてしまった罪悪感で
立ち直れなかったので
入学早々、超〜〜暗かったからです。

 

友達がマジでいなかった私は
大学の洋画のDVDが揃っている視聴覚室で
大学生活の大半を過ごしました。

 

誰もが想像するような
キラキラな大学生活とは無縁で
ひたすら「プリズン・ブレイク」という
アメリカのドラマを見て過ごしました。

 

視聴覚室の受付のお姉さんに
顔を覚えられるぐらいには入り浸りましたね。笑

 

そんな感じで友達はいないし
外見コンプレックスもあって

人前で喋ることが
とにかく苦手になりました。

 

授業でプレゼンをした際にアンケートに
「あの人(ゆか)の話し方が変だった」
と書かれたときにはもう

ショックだし悲しいし悔しくて仕方なかったのですが、
そのくらい喋ることが苦手でした。

 

6:コッペパンを抱えたまま眠る母

 

ある日、私が母の部屋を覗くと、

母がヤマザキのコッペパンを抱えて
口をあんぐりと開けながら
そのままベッドで寝ていました。

 

「!?」(思わず二度見)

 

当時の母は介護施設で働いていて
夜勤を終えて帰ってきて
パンを食べながら寝てしまったらしいのです。

 

当時の母を思い出すと今でも辛くなります。

 

夜勤手当てがあったので
金銭的には苦労していなかったけど
体力的にはとてもキツそうでした。

 

介護を始めてから3ヶ月で10キロ痩せて
ズボンはぶかぶかになり
顔も常に疲れているように見えました。

 

母はそれまでずっと
正社員として事務職をしていましたが、
会社都合で退職してしまってからは
やりたい仕事に就けずにいました。

 

職場の人間関係も良くなく、
よく愚痴をこぼしていました。

 

「本当はこんなこと言いたくないけど、
聞いてくれるのゆかだけだから。ごめんね」

と謝る母を見るのは本当に悲しかったです。

 

昔は生き生きと楽しそうに働いて
「これは会社の中でも私にしかできないの」
って自慢げに話してくれて
やりがいを持って仕事してたけど、

 

今はただ、お金のために
本当はやりたくない仕事をしている。

 

そんな母の状況を早く
どうにかしてあげたいと思うようになりました。

 

私が良い会社にちゃんと就職して
両親を助けてあげよう!!と決意し
就活を始めました。

 

7:ランドマークタワー40階から見た絶望〜最高の夜景と共に〜

 

私の就職先は、
ランドマークタワーの40階の
とある会社でした。

 

昼間には真っ青な海が見渡せて
夜にはキラッキラの夜景が見下ろせました。

 

「こんな綺麗な景色見ながら
仕事できるなんて最高だな…!!」

 

最初こそルンルン気分だったのですが
徐々に会社の黒〜〜い部分が
見えてくるようになります。

 

そこの社長は
「自分がルールだ」
と言わんばかりの独裁者で、

会社のルールを自分の都合の良いように
コロコロと変えていきました。

 

中でも一番「もう無理!!」と思ったのが、

ある日、社長が
「来月から5万ずつ、全社員の給料下げるから」
と言い始めたことでした。

 

「いやいやいやいや、、は??」

 

社長に対する疑問も爆発でしたが、
会社にコントロールされる働き方に
疑問を持ち始めたのもその頃です。

 

私自身や、大切な人の人生を
豊かにするために働いていたはずなのに、

当時の私は
ストレスや疑問だらけの中で働いていて
幸せとは程遠いところにいると気づきました。

 

それまではずっと
「会社員なら安定だ」
と信じてきたのですが、

 

ここで人生で初めて、
会社のお給料に依存している人生は
金銭的にも精神的にも危険なのかも…
と気づくことができました。

 

オフィスから見える夜景も
社長以外の仲間も大好きでしたが、
こんな働き方辞めよう。と決めました。

 

8:謎の起業家、現る

 

このままじゃダメだ
とは分かっていながらも、

どうすれば会社に依存しない
働き方ができるのかわからず、
ネットで調べたりSNSで調べたりしていました。

 

ある日曜日の夜。

「明日からまた会社かあ…」

ゆううつな気持ちになりながら
Twitterを見ていると,

 

ネットビジネスというもので
一人で月収3000万を稼いでいるという
謎の人物を発見しました。

 

「どゆこと!??」

その人のSNSやブログを読み進めると
そこには私が見たことも
聞いたこともない世界が広がっていました。

私もやってみたい!と思いました。

 

でも、ちゃんと学ぶには
5万円という参加費を払わなければならないと。

 

「ご、ごまんえん・・・」

 

絶望でした。

 

当時、手取りが17万だった私には
5万なんて大金です。

 

ただでさえお金がないのに
5万円も払ってられるか!!!

・・・見事にチャンスを逃しました。

 

そのまま3ヶ月ほどが経ちますが、
知識投資する決断もできず、
かといって何か別のことを始める決断もできず、
モヤモヤした日々を過ごしていました。

 

母からの電話が鳴ったのは、そんな時です。

「お父さんにね、腫瘍が見つかったの」

 

9:決意

 

思えば私が

本が好きになったのも
映画が好きになったのも
全部、父の影響でした。

 

負けず嫌いな性格なのも父に似たから。

バレーボールを始めたきっかけも父。

 

理科の宿題で良い成績を取れたのは
父が星の観察を手伝ってくれたからだし

大学に進学できたのも
立派な家に住めていたのも
父が一生懸命働いてくれていたからです。

 

私が母に怒られて泣いている時も
父は笑ってただそばにいてくれました。

 

守られていたんだなあ、と思います。

 

父の手術中、
そんなことを思い返していました。

 

でも私は、

母と一緒に待合室で待ちながら
両手を合わせて

「お願いだから生きてて…!」
と願うことしかできませんでした。

 

当時お金もなかったので
手術代や入院代の一部さえ
払ってあげることもできず、

自分の無力さが本当に情けなくなりました。

 

もっとお金があれば。。。

 

ふと、漫画ワンピースで
私が好きな言葉を思い出しました。

 

いいかい
優しいだけじゃ人は救えないんだ!!!

人の命を救いたきゃ
それなりの知識と医術を身につけな!!!

腕がなけりゃ誰一人救えないんだよ!!!

 

高校時代、
この場面を漫画で読んで
ボロボロ泣いたものです。

 

「優しいだけじゃ人は救えない」

ほんとだよなあ、、と思います。

 

大切な人が困っている時、
苦しんでいる時、
優しさだけではその人を救えません。

 

無力な自分を変えたい。

せめて自分の大切な人ぐらい、
自分で守れる力、喜ばせられる力が欲しい。

世の中、お金が全てではない。
だけど、お金があれば叶えられることは多い。

 

私も稼ぐ力を身につけたい!!

 

謎の起業家と出会ってから
3ヶ月越しに、知識に投資することに決めました。

 

10:人生で一番大きな買い物

 

「本当に稼げるようになるのなら5万なんて安い」

そうは思ったのですが、
決済するときは流石にぶるぶる手が震えました。

 

人生で一番高かった買い物でさえ、
昔、彼氏の誕生日にプレゼントした
NIKEのAir Max(2万円弱)だった私には
5万なんて大きな大きな買い物です。

 

めちゃめちゃビビりながらも
恐る恐るカードで決済し、
送られてきた教材を聴きまくりました。

 

それ以降も知識を学んでは実践する。
これを繰り返していきました。

 

少し話が逸れますが、それまでの私は
ネットで何かものを売った経験なんて、

使わなくなったアイシャドウをメルカリで
販売したことくらいしかありませんでした。

 

だから初めは
ネットでモノを売るとか
自分の商品を売るなんて
ものすごく抵抗がありましたし

「本当に私にビジネスなんて
できるのかなあ?」
と不安しかありませんでしたが、

 

それでも正しい戦略で正しい知識を
持ってやれば成果は出せるし、
自分に価値を感じてくれる人もいるのだと気づきました。

 

パソコン1台あれば
人に価値を届けることも
喜んでもらうこともできるし

平凡すぎる人生を送っていた私でも
会社に雇われずに好きなことをして
過ごせるようにもなりました。

 

11:ビジネスを始めて見えた世界と理念

 

知識をつけることで
人生はいくらでも変えることができる。

 

今まで自分に自信もなく
平凡すぎる人生を送っていた私でも
これだけは確信を持って言えます。

 

私ももともとは
ビジネスの知識は0でしたが
正しい方法を学ぶことで
できるようになりました。

 

最近ももっと知識を増やすために
銀行残高0にしてコンサルを頼んだり
セミナーや勉強会に参加したりして
日々知識をつけていっています。

 

今後ももっと知識をつけて
面白いビジネスを作れるように
パワーアップしていきます。

 

最後に、今私が思っていること。

 

人生は有限です。

やりたくもない仕事や
人間関係のストレスのために使うには
私たちの人生の時間というのは貴重すぎます。

 

私は有限なこの人生を
どうせなら笑って生きたいし
大切な人たちにも笑顔でいてほしいと思っています。

 

だから、このブログでも
読んでくださった方の

人生が豊かになるように、
生活に笑顔が増えるように、

役立つ情報を投稿していきたいと思っています。

 

また、公式LINEも運営しています。

ブログよりも近い距離感で
私が今までに学んできた
ビジネスの知識やマーケティングについて
発信していくので楽しんでいただけたら嬉しいです。

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